もやし社長の47歳日記

ひよっこガリガリ社長の僕が、とある入院をきっかけにこの貧弱体系に卒業を誓う。日々の筋トレと経営について、そして学生時代の思い出を思いのままに書いて行こうと思います。皆様よろしくお願いいたします。

この週末はいい天気やったなぁ。

 

家の前の家の桜が三分咲きだった。

 

f:id:DICKMAN:20180325185825j:image

 

桜を見ると思い出す事があって…

20年前から好きな花では無くなってしまった。

ある事をキッカケに…

 

僕のオトンが亡くなったのが20年前の4月30日。

 

肝臓癌だった。

 

その年の12月に偶然発覚した肝臓ガン。

 

オトンは直接先生に言い伝えられた、

 

末期癌、余命半年。生存確率10%以下と。

 

えっ、

ドラマみたいに家族に伝えてから本人に言うんちゃうん?と思いながら…

そんな言い方あるん?

 

経営者は色々大変やから直接伝えるらしい。

 

オトンがその告知の後、俺に言った言葉。

 

「ワシは末期ガンで余命半年、生存確10%未満。もう終わりや!」

 

「んなわけないやん!先週までゴルフしとったやん!」

「病気もしたことないやん!」と僕。

 

「THE ENDやわ」

 

今まで見た事のない覇気のない顔で遠くを見ていたオトンを今でも鮮明に覚えている。

 

風邪で寝込んだことも無かったオトン。

身体はめっぽう強かったオトン。

弱音を吐いた事のないオトン。

 

その日先生に余命宣告を受けた日から

そんなオトンはどこかに行ってしまった。

 

あとで振り返るとその先生の癌告知で

全てを諦めてしまったんだと思う。

 

直ぐに抗がん剤投与。

みるみるやせ細っていったオトン。

 

未来を諦めたオトンが取り組んだ事は唯一、

 

会社の引継ぎ。

 

生きてる間に体制を整えないと会社が不安定になると判断したのだろう。

 

自分を会長へ専務を社長にそして僕を取締役にする。

 

入院3日後である。

 

入社2年目の僕は右も左も分からない子供だった。

 

怖く、何も出来ない自分への悔しさで泣く事しか出来なかった。

 

毎日病院に行っては窓の外を見ながら涙を拭いていた。

 

オトンにバレないように…

 

そして窓の外から見える大阪城の桜が綺麗で、

毎朝毎晩、「オトン桜綺麗で〜〜!観るか?」

って聞くと「いや、観ないでおくわ!」とオトン。

 

そんな気分では無いのだろうとその時は思って

僕がいつも眺めていた。

 

それから三週間毎晩オトンと色んな話をした。

ずっとイキってた僕は素直で無かったから…

もう時間が無いと分かって初めて色んな事をたくさん聞いて話した。

 

仕事のこと会社の事、恋愛の事。

 

どの話もめちゃくちゃ面白く興味深かった。

毎晩夜遅くまで聞きふけっていた。

なんでもっと前から素直に話をしなかったんやろう…後の祭りとはこの事。

 

そして昼間は毎日お見舞いの人が大勢来てた。

何より驚いたのは、多くのひとがクライアントである事。

 

遠方からもどこからか聞きつけて多く来ていた。

当時ひよっこ営業マンの僕でもその凄さが分かった。

 

もし自分が末期ガンで入院したら何人のクライアントが見舞いに来てくれるんだろうと。

 

オトンは利害関係を超えて人と付き合っていたんだと思う。

 

「〇〇ちゃん、こんなとこで寝とったらアカン、もっと一瞬に仕事しようや!」

 

ってオトンを見るなり肩をさする姿を何度も見て。

 

このオトンかっこ良いと心底思った。

 

そしてオトンがこの会社に、この仕事に命を捧げて来た事を知った日でもある。

 

そして、4月30日に息をひきとる。

 

一度も窓の外の桜を見なかったオトンの言った「観ないでおくわ」の意味がこの歳になって少しずつ分かって来た気がする。

 

桜を見るたびに思い出すオトンの事。

 

いつになったらオトンを超える事が出来るのだろうか…