もやし社長の47歳日記

ひよっこガリガリ社長の僕が、とある入院をきっかけにこの貧弱体系に卒業を誓う。日々の筋トレと経営について、そして学生時代の思い出を思いのままに書いて行こうと思います。皆様よろしくお願いいたします。

United States of America vol.1

f:id:DICKMAN:20180329094932j:image

僕はアメリカに1989年夏〜1995年冬まで住んでいました。

正確に言うと留学していました。

 

そう6年半、18歳から24歳まで。

僕はこの経験を出会ってすぐの人には話さない。

てか、話せない。

それは決してカッコいい話しでは無いから…

 

普通はややデヤ顔で前のめりに自慢化に話すしのが常かもですが、

僕の場合はそうではない。

 

何故か?

 

それは留学した理由と場所が関係してまして。

 

僕が留学した理由は僕に夢があって能動的に留学を望んだわけでも無く、英語が好きとかでも無く、ただただとんでも無く馬鹿野郎な奴だったからに他ならない。

 

自由奔放に高校まで過ごした僕のグウタラぶりを見兼ねた家族からの最終手段だったのである。

このままではろくでもない大人になってしまうと思ったらしい。

 

ある日オトンに呼ばれた。

 

嫌な予感、

「で、何?」と僕。

 

「家族会議で君のアメリカへの島流しが決定しましたのでこの夏、君はアメリカに行くことになりました。以上…」

 

「あ、それと期限は君が大学の卒業証書を手に取るまでや!」

 

とオトン。

 

はぁ?

意味わからん。

 

 殺意すら覚えた。

 

英語は1.2しか取ったことないし、

ここだけの話、筆記体全部書かれへんし、

外国に興味も無いし、

外人どっちかというと嫌いやし、

怖いし、

で、彼女もおるし。

 

そもそも何しに行くねん?

 

疑問しかない。

 そう、ブッチやな。

と断固たる決意で決めていた。

 

 しか~~し、

日が経つにつれて準備されていく。

 

姉貴にオカンがなんか買ってくる。

スーツケースに英語の辞書。

下着に薬にドライヤーはあっちで買いとか言うてるし・・・

 

入学手続きの書類が届いて来たり。

 

なんか本気やんっ、て僕。

 

他人事。

 

姉貴に「あんたパスポートとこの書類もってアメリカ大使館行ってき、ほんでI-20ってビザを取ってくんねんで!!」

 

あかん、アカン、ほんまに行かせる気やん!!

 

僕「ところでアメリカはどこなん?」

姉貴「ん、テネシーってとこ」

 

僕「それどこ?」

 

姉貴「知らん」

 

僕「知らんって」

 

姉貴「ATLASって地図が売ってるから自分で調べ」

f:id:DICKMAN:20180329130703j:image

*中央右下(アメリカ人はこのエリアをDEEP SOUTHと呼ぶ)

 

ありえん、アメリカ行きさえありえんのに。

 

テネシーって、なんや!それどこや?

 

僕はロサンジェルスかニューヨークしか知らん。

 

その夜オトンに聞いた・・・

 

僕「なんでテネシーなん?」

 

オトン「ロサンジェルスとニューヨークから一番離れてるやろ」

 

僕「なんで離れてるとこ選ぶん」

 

オトン「お前遊ぶやろ!海の近くはアカン」「ほんで安全やでテネシーはガハハ」

 

テネシーワルツって歌あるんやぞ!ガハハ」

 

このおっさんほんまありえん。

 殺意をまた覚える・・・

 

ただでさえ行きたくないのに

よりによってテネシーって!!

 

 

とどめに・・その当時90歳のおばぁちゃんまでが

 

「あんたアメリカ行くんやてな!

なんで行くんや?電車か?バスか?」

「遠いとこらしいな」

「わても若いときは疎開先でアメリカ軍が来てな、チョコレート貰ったわ!

わては食べへんかったでな~。外人嫌いやねん!」

とか言われる始末。

 

 アカン、アメリカ行き決定やん

 

今から30年前の出来事を鮮明に覚えている。

それほど僕にとっては大きな出来事だった。

 

当時18歳の春の話しでした。