もやし社長の47歳日記

ひよっこガリガリ社長の僕が、とある入院をきっかけにこの貧弱体系に卒業を誓う。日々の筋トレと経営について、そして学生時代の思い出を思いのままに書いて行こうと思います。皆様よろしくお願いいたします。

United States of America vol.6

「入学」

 

僕はテネシー州立大学にある、英語学校に入学した。

いや、させられた・・・

 

INTENSIVE SCHOOL と呼ばれていた。

語学学校ね!

 

そこにはいろんな国から大学に通うための英語を習得するために来ている学生さんしかいない。

 

韓国・中国・マレーシア・フランス・ドイツ・タイ・フィリピン・サウジなどなど。

 

これも当時の僕にとっては衝撃的な事だった。

生まれて初めて異国の人に友達が出来る。

 

観たことのないほど髭の濃いやつとか、

めっちゃ別嬪なフランス人とか、

めちゃ腋臭な奴とか、

脇毛ボウボウな女子とか、

それはもう驚きしかない。

 

そこにはもちろんクラスがあって、

レベルが6つに分けれていた。

 

一応お学力テストを受けて、

まったく話せない僕はもちろんレベル1(PRIMARY CLASS)

ってとこに行くことになった。

 

望むところだ!!

アメリカの授業風景 に対する画像結果

なんせアルファベット(筆記体は全部書けない僕なんだから)。

 

そしてそのクラスのメンバーは全員ほぼ同じレベルの英語力。

15人くらい居たかなぁ。

 

いろんなオリエンテーションがあって・・・

(ほぼ理解してない、なんて言ってるか分からないから)

 

さぁ、1時間目の授業。

 

なんと先生は黒板に線を引き出した。

英語の線 に対する画像結果

でた、まさかのアルファベットの練習から・・・始めるんや!!

 

確か僕の日本帰国の条件は大学の卒業証書をもって帰ること。だった・・・

「うそ~ん」

 

こんなことしとったら、10年、いや15年はかかってしまうやん!と心の声。

 

で、でも、FとかG、そしてQとか書かれへんし・・・

 

 

 

その日の夜、手紙を書いた事を今でも鮮明に覚えている

 

今日初めてアメリカで授業を受けました。

 

 僕はレベル1ってクラスです。

 

1時間目はライティングでアルファベットの書き方練習をしました。

 

たぶん、大学卒業なんて10年はかかると思う。

 

そしてルームメイトのマイクとは4日経ちますが、「HI!」しか話してません。

 

てか、話せない。

 

そして4日間日本語を話していないので、

独り言が増えました。

 

もうアメリカ生活は無理かもしれません。

 

PS:あだ名がつきました、その名前は「ディック」です。

 

 

 

この世の終わりみたいな手紙を家族に送った。

 

それぐらい追い込まれていたのかもしれない。

 

俗にいう「HOME SICK」

というやつです。

 

 

渡米、4日・・・

 

弱音MAX。

 

涙が止まらない。

 

怖いのか?

さみしいのか?

不安なのか?

 

とにかく泣けて来て、

びちょびちょの便せんに手紙を書きまくった。

 

AIR MAIL写真 に対する画像結果

日本語を話せる場所が唯一便せんの上なのだから・・・